コーディネーター
舩木 伸江
神戸学院大学 学際教育機構 防災・社会貢献ユニット 講師
略歴
1999年、神戸学院大学人文学部卒業。2001年、北アリゾナ大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。その後、阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター震災資料専門員。2006年、京都大学大学院情報学研究科博士後期課程単位取得退学(2003-2006)。2006年から現職。
研究テーマ:防災教育(学校における防災教育の現状と課題、新たな防災教育ツールの開発)
関連情報
神戸学院大学
コーディネーター
諏訪 清二
兵庫県立舞子高等学校 環境防災科 科長・教諭
略歴
岡山大学教育学部卒業(1982)後、兵庫県立神戸商業高等学校(1982-1994)、兵庫県立舞子高等学校勤務(1994-現在)。兵庫県立舞子高校において、環境防災科が2002年4月よりスタート(環境防災科科長:2002-現在)
関連情報
兵庫県立舞子高等学校 環境防災科: 2002年4月よりスタート。環境防災科は、阪神・淡路大震災の経験を世界に伝えるため、市民の防災の意識を向上させるために設置された。環境防災科は、「基礎知識」、「災害対応に役立つスキル」、「社会に貢献するという意思」の3つの力を養うことを教育の目的としている。
兵庫県立舞子高等学校
集集地震、台湾:1999
台湾はユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界に位置している。台北の気象地震計は日本の植民地時代の初めのころの1897年に設置された。2009年に至るまで台湾はしばしば大きな地震に見舞われてきたが、1999年の集集地震(921地震とも言う)はここ100年間の主だった地震よりもさらに大規模な生命・財産の損害を引き起こした。
台湾921地震教育園区の使命はいくつかあり、地震の記念、地震の反省、地震科学と防災の教育、被災箇所の保存、地震に関する痕跡や文書、歴史的事実の収集などである。そして、このような目的を達成するため、いくつかの施設が設置されている。その一つには実際の断層が保存され、Chelungpu 断層ギャラリーと呼ばれている。また、地震工学ギャラリー、映像ギャラリー、防災ギャラリー、復興ギャラリーも設置されている。また、園区は地震に関する意識を高めるため、特別展示と体験型訓練活動による科学的な方法を採用した防災教育を実施している。
台湾921地震教育園区は、人々の命を救い将来の地震に対応しうる地域の防災力を高めるため、防災と災害救援の考え方が実践されるよう、そのビジョンを台湾のみならず世界中で積極に広めている。
呉 徳棋
台湾921地震教育園区 館長
略歴
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教育園区
スピタク地震、アルメニア:1988
アルメニア地震工学会(AAEE)は1998年に設立され、1999年にアルメニア法務省に登録された。AAEEは、2000年にIAEE(国際地震工学会)、2002年にEAEE(ヨーロッパ地震工学会)に加盟した。AAEE初の大プロジェクトは、博物館を設立し、2002年11月の地震工学分野の成果を常設展示することであった。1988年のスピタク地震による被害規模は周知の通り、死者2万5千人超、住む家を失った人50万人超であった。そのために重要なのは第1に、被災状況と、誰が被災地の復興支援をしてくれたかということを決して忘れないこと、第2に、ここから教訓を得て、人々の地震に関する知識の習得と向上のための教育を行うことである。
この悲劇的な地震からわかったことは、不可避の自然現象をみくびると重大な結果を招き、国家の発展を何十年も後退させるということである。地震の恐ろしさや防災意識に関して、過去の経験が無視された時にこういうことが起きるのである。国民一人ひとりが、どんな危険が待ち構えているか、地震時にどうすれば自分や他人を救えるかということをきちんと知っておく必要がある。必要な基礎知識を知らないままに住居や仕事場を建築すると、地震の際に避けられない致命的な危機に、子孫はもちろん、自分自身や他人をも曝すことになる。その日暮らしで、地震は自分とは関係ない遠く離れた場所で起きるものだなどと考えてはいけない。地震工学や災害管理の分野の教育が不十分なために、依然として、地震の危険にまったく不適切な方法で住居建築が行われている。同博物館と展示は、老若男女を問わず、知識、教育、情報の源泉となるものである。
ミカエル・メルクムヤン
アルメニア地震工学会 会長
アルメニア アメリカン大学 工学部 研究教授
略歴
工学博士、アメリカン大学アルメニア校工学部特任教授。
1990~1991年、日本の東京大学産業科学研究所(IIS)岡田教授研究室で、共同科学調査研究を行う。1990年よりIIS耐震構造研究センターの外国人メンバー。
1995~1996年、基礎免震ならびに上層階分離法を用いて、建物の使用を妨げずに既存建築物の耐震性能を向上させる、2つの独自の方法を開発。(氏の基礎免震を用いた改築工法はアルメニアとロシアですでに実施され、また、ルーマニアにおいても、氏の開発による改築設計が提出されている。)
1997年~、独立国家共同体諸国国際免震学会副会長。
1998年~、アルメニア地震工学会会長。
2001年~、国際耐震システム学会(ASSISi)創立メンバー。
その他、ヨーロッパ構造力学学会会員、アルメニア工学アカデミー通信会員、ヨーロッパ構造制御学会会員、建築・建設における研究・技術開発のための国際協議会(CIB)実務委員会WC114「地震工学および建築物」賛助会員、CIBタスクグループTG75「伝統建築に関する工学研究」賛助会員、欧州標準化委員会CEN/TC340と同名の、アルメニア国家技術委員会TC7(CEN/TC340)「耐震装置」議長。
著作12冊、発明・特許12件等、170を超える科学論文の著者・共著者。
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浅間山噴火災害、日本:1783
「天明の生死を分けた十五段」と語られてきた鎌原観音堂の哀話。昭和54年に始まる発掘調査で天明三年の鎌原村の一部がよみがえった。浅間山噴火で6mもの厚さの土砂が村を襲い477名が犠牲になる。しかし、高台の観音堂などで命拾いをした93名は近隣の村々に支えられ、先祖が眠る元の村の上に緑豊かな新しい村を再建させてきた。
一方、土砂(天明泥流)は吾妻川~利根川流域を呑み込み、犠牲者はあわせて37カ村1490名に及んだ。
2世紀余の時間が経過する中で、被害や復興の記憶は失われることなく語り継がれている。鎌原地区の供養や泥流被害地域でのいくつかの「点」の事例を紹介し、歴史災害が継承される地域の素地を確認し、さらなる構想を目指したい。
関 俊明
群馬県嬬恋村立東小学校 教諭
元(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 専門員
略歴
火山災害遺跡の発掘調査を通して、「天明三年浅間災害」と係わってきた。地元の一住民としても、過去の出来事を語り継いでいくためのフィールドミュージアムの構想(仮称『日本のポンペイ』)を模索したいと考えている。/1996-2005 (財)群馬県埋蔵文化財調査事業団勤務/2002 (財)古代学協会イタリアポンペイ遺跡第10次発掘調査参加/2004-05 内閣府中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」小委員会委員/日本考古学協会会員/地方史研究協議会会員
関連情報
中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書『1783 天明浅間山噴火』平成18年3月:
嬬恋郷土資料館
天明3年を歩く1
天明3年を歩く2
エルサルバドル
ルイス・ロベルト・ヘルナンデス・オスグエダ
サンタ・テクラ市 助役
略歴
こちらを参照してください。
関連情報
雲仙普賢岳噴火災害、日本:1991
雲仙普賢岳噴火災害時の被災状況や住民の行動を住民の目線で記録するとともに、体験した人にしか分からない真実を語り継ぐとともに、三宅島や有珠山の住民とも連携し災害体験を共有する活動を行ってきた。 噴火から20年近くが経過し、噴火災害を知らない子供たちに、雲仙普賢岳の噴火災害の体験と教訓を各学校などで語り継ぐとともに、雲仙岳災害記念館の修学旅行生などの来館者に対する災害の語り継ぎ活動を行っている。
杉本 伸一
島原半島ジオパーク事務局長
略歴
関連情報
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2日目:各地からの報告と討論