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災害に出合うとき
― 語り継ぐことの大切さ ―

広瀬 弘忠 (東京女子大学教授)

災害を語り伝えることの大切さ

 災害の記憶というものはすぐに薄れ、色あせてしまうものである。だから、忘れてしまった人の心に古い記憶をよみがえらせるために語り伝えることが大切である。
 また、被災者が生の言葉で語ることは、災害を経験したことのない人に、災害の悲劇を疑似体験させることになり、同じ悲劇を繰り返してはならないという強い気持ちを起こさせる。すなわち防災への強い動機づけとなる。

伝える様式の変遷-語り部の誕生

 災害の体験は、心身への非常に強い外傷体験であり、筆舌に尽くしがたい過酷な経験である。当初混乱は高ぶる感情のゆえに語ることができない人々が、次第に原体験を客体化し、自分の言葉で語り、言葉を外側にあふれさせていくことにより気持ちを整理していく。例えば広島・長崎の原爆の被爆者、沖縄戦の体験者、また阪神大震災、インド洋大津波の被災者がそうであるように、人々は固有の語りを身につけ、語りの様式を作っていくなかで、語り部が誕生する。こうして創り出された語りが、さらに進化し、普遍化したものが小説、絵画、音楽、詩といった文芸として定着する。完全に整理されたストーリーになる前段階にある語りは、素材の生の力ゆえに、かえって聞く者に鮮明な印象を与え、心に訴えるものを持つ。

“語り”と“場”の広がり

 被災者が、言葉にしがたい混沌とした感情や恐怖を、被災者同士、あるいは家族の間で語り、外側にあふれさせていくとき、最初は、自分自身のための語りである。それらが、さらに友人・知人、職場の同僚といった人々へと語りの領域を広げることにより、社会的に意義を持ち始める。自分の体験を語る際には、被災当時の感情、記憶を鮮明に思い出すことになり被災者自身も自らの外傷体験を想起する厳しい状況に身をおくことになる。だが、この外傷記憶の想起に耐えることにより、次第に外傷記憶に慣れ、被災体験を整理し客観化できるようになる。
 自分自身を被災者としてだけではなく、被災体験を伝える者としてとらえることができるようになるのである。
  同時に被災者の肉声は、聞く人の心を動かす力がある。社会が語りの価値を認めるにつれ、語る側の存在意義も高まり、また周囲からサポートされているという感覚を持つことができる。このようにして、災害の語りが社会に定着し、それ自体が存在意義を持つようになる。

なぜ語り部が必要なのか

 2005年12月に、阪神大震災の被災者に対して共同通信社が行った調査では、約9割の人が震災の体験は「かなり風化しつつある」あるいは「少し風化しつつある」と回答し、震災の風化を被災者が自覚していることが示された。また「風化させないために重要なことは」との問いに対して一番多かったのが、「語り部活動や子どもたちに震災経験を話し聞かせる等の被災者自身の活動」という回答であり、語りの重要性が指摘されている。
 1938年の神戸大水害では、梅雨前線が六甲山系に集中豪雨を降らせ山沿いの各処で地盤が崩壊し、急峻な山系からの濁流が山津波となり市街地を襲った。道路は寸断され、鉄道各線は不通となり、神戸は孤立し、死者・行方不明者は925人にのぼる大災害となったが、この経験は、現在の神戸の人々にほとんど残っておらず、このような大災害はもう二度と起こらないと考えられている。しかし、ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナの例や、地球温暖化が進むにつれ、巨大台風や大水害の危険は増大していることからも、この教訓を活かしていくことは必要である。
 また、阪神大震災以前に神戸に起こったもう一つの忘れられた災害として、神戸大空襲があげられる。1945年に集中した空襲により、神戸市民の1000人に8人にあたる7491人が犠牲になるという大災害であったが、戦後復興事業は阪神大震災の前年の1994年に終わっている。
 インド洋大津波では、多くの人々が津波の危険を知らずに被害にあったが、もし現地に津波の恐ろしさを伝える語りがあれば、人々は津波に対するイメージを持つことができ、被害を防ぐことができたのではないか。また、ハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオーリンズの町は、カテゴリー3のハリケーンには耐えられるが、カテゴリー4、5には耐えられないという知識が、学者や研究者にはあったが、一般の人々にはなかった。ここに将来に対する災害の語りというものが存在していれば、このような悲劇を経験する必要はなかったのかもしれない。
 より高いレベルの安全を求める際に必要なのは、まず現状に対する不安を持つことであり、この不安が防災動機を高めることになる。不安を喚起し防災意識を高める上で災害を語るということ、それを聞くということが非常に大きな意味を持っている。

“語る”ことの意味

 災害を語ることの効用として、語る側は、自分の悲惨な体験を整理して語ることで、それまで抑圧していた言葉に尽くせない感情や記憶、また喪失感といったものから距離をおいて客観化できると同時に、被災者のネットワーク等を通じ、防災に貢献することができる。また聞く側は、災害を追体験することにより被災者への共感や、支援の感情を持つだけでなく、自身の防災への動機づけ、さらには行動を起こすエネルギーを得ることができる。
 被災者が語りを実践するためには、このTeLL-Netのような語りの場を提供し、語る人への様々な便宜を図る必要がある。語り部への勧誘も重要である。そのような状況が与えられ被災者が語ることで、自身の外傷記憶を客観化し、外傷からの回復のきっかけを得られる。同時に個の枠組みを越えて、聞く人を感動させ、語りが社会性を獲得し防災への力を与えることができる。再び語る側にとっては、その影響がフィードバックされることにより、社会の役に立っているという自己効力感を高めることにつながる。

このTeLL-Netを拡大し、世界各地の災害の被災者が一堂に会する国際会議が繰り返し開かれるならば、そこから発信される情報、体験、経験の蓄積が世界中の人々の防災に対する関心を高め、世界がさらに災害に強くなっていくための大きなステップとなると考える。

広瀬弘忠 「災害に出会うとき」

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